150体以上の呪物と暮らし、呪物コレクターとしても注目される田中俊行さん。
田中さんの生い立ちやなぜ呪物コレクターになったのか気になっている人も多いのではないでしょうか?
この記事では、田中俊行の経歴や呪物コレクターとしての実態を徹底調査します。
- 田中俊行の経歴が知りたい
- 彼女に刺された真相が気になる
- 呪物コレクターについて知りたい
田中俊行のwiki経歴

まずは田中俊行さんのプロフィールを見て行きましょう。
名前:田中俊行(たなかとしゆき)
生年月日:1978年9月30日
年齢:46歳(2025年6月)
職業:イラストレーター、作家、YouTuber
出身地:兵庫県神戸市灘区
出身校:戸村野工業高校(現・彩星工科高校)
身長:170㎝
家族構成:両親、姉2人、弟1人
呪物コレクターとして有名な田中さんですが、本業はイラストレーターです。
実家は魚屋を営んでおり、両親、兄弟の6人家族で田中さんは42歳まで実家暮らしをしていました。
お姉さんや弟さんは先に結婚して家を出ていて、田中さんは気が付けば子供部屋おじさんになっていたとテレビ番組で語っています。
田中俊行の小学生/中学生時代
田中俊行さんは幼少期から野球に親しみながら、子どものころから画塾に通い絵の才能を磨いていました。
週末になると母親がレンタルビデオ店で稲川淳二やゾンビに関するビデオを借りてきており、これが怪談への興味を持つきっかけとなったそうです。
小学校低学年の頃には、犬に取り憑かれたような不思議な体験をしたり、母親が神戸の新興宗教施設で教祖の女性に相談事をするたびに一緒に連れて行かれたそうです。
田中さんの幼少期には、どこか非日常と隣り合わせでした。。
医師からは脳細胞がかなり死んでいると告げられ、この経験が彼の人生に大きな影響を与えました。
田中俊行の高校時代

田中さんが進学したのは、神戸村野工業高校(現・彩星工科高校)の普通科で、兵庫県下の私立高校としては唯一の工業高校でした。
男子校でヤンキーの多い校風の中、あえて気持ち悪いやつらを集めて独自のグループを作り、目立たずに過ごすための工夫をしていました。
その奇抜さゆえ、ヤンキーたちから手を出されることはなかったものの、学校中から無視されるという日々を送っていたそうです。
そんな高校時代をすごした後、京都の美大を受験しましたが、寝坊が原因で受験できずに不合格になってしまいます。
しかし母親にはこの事実を伝えられず、渡されていた画塾の月謝20万円を手に、突如インド逃避行を決行します。
田中俊行の経歴(怪談師)
インドへの逃避行を終えて帰国した後、田中俊行さんはしばらく定職に就かず、2年間ほど無職の状態が続きました。
友人の紹介でセレクトショップに勤め始め、アルバイトとして社会復帰を果たします。
その後はデザイナーのアシスタントとして働きながらも、怪談や心霊への興味は変わらず持ち続けていました。
ここから田中俊行さんの怪談師としてのキャリアが本格的に始まります。
以降の主な出場歴・受賞歴は以下の通りです。
- 2013年:「稲川淳二の怪談グランプリ」初優勝
- 2016年:“最恐”怪談師決定戦「怪談王」初優勝
- 2021年:「怪談最恐戦」初優勝
- 2018年12月:「OKOWA タイトルマッチ挑戦者決定戦」準優勝
- 2020年:「怪談最恐戦」準優勝
- 2020年6月:「OKOWA タイトルマッチ挑戦者決定戦」準優勝
稲川淳二の怪談グランプリの優勝をきっかけに田中さんのところへ呪物が持ち込まれるようになっていきます。
次は相棒とも言えるチャーミー人形との出会いを見て行きましょう。
田中俊行は彼女に刺されていた?

田中さんは彼女から刺されたという噂がありますが、実際は未遂で終わりました。
なぜ恋人から包丁で襲われるという大変な事態になってしまったのでしょうか?
包丁を持った彼女に突進される
当時付き合っていた彼女と、些細なことでケンカしてしまった田中さん。
元彼女は人を刺すための包丁を持ち、鉄拳制裁で田中さんをボコボコにするなど、やや猟奇的な一面がありました。
ケンカの理由は、買ってきたビールがへこんでいたことだったそうで、彼女のキレやすい性格がうかがえます。
そしてある時、壁に追い詰められた田中さんに向かって、彼女は柳刃包丁を構えて突進してきたのです。
僕の心臓をめがけて一直線に向かってくる彼女の手に握られている包丁に「ぐわっ」と意識が集中したんですが、そうしたら、いきなり彼女の動きがスローモーションのように見えて、僕は危機一髪、攻撃を回避できたんです。
元彼女の一撃を奇跡的にかわした田中さんは、その後も何度か殺されそうになったと語っています。
呪物コレクターが原因か?
田中さんは「何回か殺られそうになりましたね。でも100%僕が悪いんですが」と語っています。
呪物コレクターとして特殊な世界観を持つ田中さんが、猟奇的な女性を引き寄せたのか、それとも付き合ううちに彼女の性格や行動に変化が生じたのかははっきりしません。
しかし、彼の独特な趣味や価値観が彼女の攻撃性を刺激した可能性も考えられます。
田中さん自身もその刺激的な関係に惹かれ、無意識に危険な状況を受け入れていたのかもしれません。
田中俊行とチャーミーの出会い
田中俊行さんは、怪談ライブ後にファンから呪われたものがあるので預かってほしいと頼まれることが増えました。
。断れずに預かっていたものの、当初は呪物に深い関心はありませんでした。
そんな中、チャーミーという人形を譲り受けたことが、彼の呪物収集の転機となりました。
チャーミーとの出会い
田中俊行さんがチャーミーという呪われた人形を手に入れたのは、2016年ごろのことです。
滋賀県の老人介護施設で大切にされていた人形でしたが、その人形をかわいがった人が幾日もたたないうちに次々と亡くなるという現象が起こり、5名が亡くなったといういわくつきでした。
施設の職員は人形を倉庫にしまい込んだものの、いつの間にか人形が外に出てしまうという怪奇現象にも悩まされていました。
そこで、近くで開催された田中さんの怪談イベントを知り、チャーミーを預けることを決めたのです。
チャーミーとの体験が呪物収集のきっかけに
チャーミー人形を持ち帰った田中さんの周りでは、以下のような怪現象が続きました。
- 部屋の電気が激しく明滅した
- パソコンの音声認識(Siri)が勝手に起動し、他のアプリが立ち上がらなくなった
- 人形の口の中にお米が詰まっていた(施設の老人がご飯を食べさせていたため)
- (お米を取り除いた後)次々と仕事が舞い込むようになった
こうした不思議な体験から、田中さんは物に人の念が宿るのではないかと考え、呪物収集を本格的に始めるきっかけとなりました。
それでは呪物コレクターとしてどんな活動をしているのか見て行きましょう。
田中俊行の呪物コレクターとしての活動
田中俊行さんは、怪談師としての顔と並行して、呪物コレクターとしても注目を集めています。
全国各地、時には海外からも集めた呪われた品々は、すでに150点以上。
単に集めるだけでなく、それぞれの呪物に込められた背景や念を尊重し、共に暮らすスタイルを貫いています。
ここでは、そんな田中さんの呪物コレクターとしての実態と、その独特な日常について迫っていきます。
150体以上の呪物コレクションの実態
これらは単なる収集品ではなく、一つひとつに特別な念が宿っていると考え、丁寧に扱っています。
呪物は大きく分けて、呪術師が意図的に呪いを込めて作ったものと、超自然発生的に呪物として扱われるものの2種類があり、田中さんはどちらのタイプも集めています。
たとえば、村を守るために作られた呪術師の呪物や、髪の毛が伸びる人形、不幸をもたらす置物など、形はさまざまです。
仏像も田中さんにとっては呪物の一種であり、良い力を持つものとして捉えています。
呪物と共に暮らす生活スタイル
田中さんの一日は呪物の世話から始まります。
夜もナイトルーティーンとして同じく丁寧にお世話をしてから寝ます。
呪物はただ集めて終わりではなく、ちゃんと世話をしないと襲われることもあるため、人間のように接するのが基本だと語ります。
また、夢に呪物が現れて話しかけてくることもあるそうです。
普通の感覚で考えれば、朝晩に呪物一つひとつの機嫌を伺いながら声をかけたり、夢にまで現れて話しかけてくる存在と共に暮らしたりする生活は、怖すぎて無理と感じる人も多いはずです。
田中さん自身は霊感がないし、体も鈍感と語っていますが、実はそれこそが彼のような呪物コレクターとしての資質なのではないかと感じます。
常人には到底真似できない生活を淡々とこなす田中さんですが、その姿勢からは呪物への深い敬意と覚悟が感じられます。
彼にとって呪物とは恐れの対象ではなく、人生を共に歩むパートナーのような存在なのかもしれません。
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